9月4日お知らせで発表された文章です。
-【遺書の存在について】
そのノートにも、自死の動機や原因と直接結びつくような内容はなく、また、ファンの」皆さま、スタッフ、アーティスト仲間などへ遺した文章や、遺書なども結果として見つかっておりません。
このコメントを見たとき、それならばどうして、「自殺」と判断されたのだろうか
と疑問に思いました。
20220年7月22日東スポWebでは、このノートについて、警察関係者のエピソードを掲載していこのます。
「悪口などではなく、その俳優から仕事や人生観についてこんなアドバイスをもらったという内容が書かれていた。
メモは分厚いノートにびっしり書かれていて、感情のまま書き殴っている箇所もあれば、
理路整然と物事を記しているページもあった。
ノートを見た捜査員の1人は『本当に真面目。そして苦しんでいた』
と涙ぐんでいたそうだ」(警察関係者)
このような記事が出たので、不可思議な自殺も「このノートに自殺を裏付けるものが記載さ
れているのだろう」と思っていました。
その後時間が経つにつれ、このノートに記載してあった、春馬くんが悩んでいたように記載された言葉達が、役柄についての考え方であることが分かってきます。
例えば。「僕の人間性を全否定するような出来事」
これは下の記事のように、あたかも春馬くん自身に起こったことのように紹介されました。
これドラマ「僕のいた時間」で春馬くんが演じた役「拓人」の第1話の設定でした。
実際の1話のセリフでも、同じようなニュアンスの言葉を使っています。
次に「散ることを見据えて残された日々をどう過ごすべきか」
これも、上の記事の文中に、春馬くんが自分自身の事をそう思っているような
形で紹介されています。
これはご存知の方が多いと思いますが、NHKドラマ「太陽の子」に寄せられた
出演者コメント用の文章でした。
そして49日に経過した後、「遺書ではありませんでした」と言われる。
これをどう受け取ればよいのでしょう。
もし自分の「家族」にこのような事が起こったら、本当に自殺なのか、
自殺に見せかけた他殺なのではないか、もう一度調べて欲しい、
と警察やその他機関に懇願しますし、現にこうしているように、自分で調べます。
遺書なき自殺は「不審死」になるそうです。
警察から言われたとはいえ、この状態を「ハイ自殺ですね。分かりました」と
事務的に受け取っているように見えるA社に「不信視」です..。
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